director’s message

従来の演劇の枠では捉えきれない舞台芸術のジャンル

MooNLess(2008)

MooNLess(2008)

銀幕遊學◉レプリカントを結成したのは1988年で、当時、セリフ劇中心の大阪の小劇場演劇界ではかなり異端児扱いされていた感があった。なぜなら舞台では生バンドが大音量でプログレッシブなロックを演奏し、ホリゾントバックには抽象的な映像が映し出され、奇抜なコスチュームの俳優が無言でゆっくりと歩くという「セリフのない演劇」だったからだ。今で言う表現ジャンルを融合させたコラボレーション作品だったのだが、当時はパフォーマンスという言葉すら一般的ではなく、多くの演劇ファンは私たちの舞台作品を「レプリカントの舞台」と呼ぶ以外ほかなかった。

大阪の小劇場界で初めてとなる海外公演での業績

「鬱 〜 utsu」(HongKong Arts Centre 1999)

「鬱 〜 utsu」(HongKong Arts Centre 1999)

まず私たちが目標にしたのは海外公演であった。なぜなら時はバブル期の名残があり、海外からのシアターカンパニーやダンスグループが数多く来阪し、私たちは幸運にも世界の最前衛作品を目の当たりにすることができたからだ。とにかく海外でも自分たちの作品クオリティーを試してみたい。こんな思いから、結成から5年後の1993年、運良くロサンゼルス市のジャパン・フェスティバルに招待参加することができた。大阪の小劇場界において海外公演をめざす、あるいはそれを実現させた劇団は皆無に等しく、銀幕遊學◉レプリカントの海外公演の成功は新聞や演劇雑誌などで紹介された。

音楽と身体表現の可能性を追求した作品

South Chine Morning Post (香港)での紹介記事

South Chine Morning Post
(香港)での紹介記事

初めての海外公演で手応えを実感できた私は早速、銀幕遊學◉レプリカントのメンバーのポテンシャルを引き出すための新作づくりに取りかかった。もちろんその後の海外公演の布石となるもので、音楽と身体表現の函数関係を検証するための独自のリハーサルやワークショップを追求し、熱中した。そしていよいよ機が熟した1999年、香港藝術中心(Hongkong Arts Centre)で開催された演劇祭「Little Asia Network」に参加したのを皮切りに、2005年までの7年間、上海やシンガポール、香港、タイペイ、北京など、アジアの主要都市で開催された演劇祭から招聘を受け、数々の作品を上演してきた。しかし関西の小劇場演劇界の多くはさほど海外公演に魅力を感じないようだった。唯一、若手演出家・ウィーリー木下が私たち同様、ノンバーバル(言葉の意味を超えた)な舞台作品に興味を示してくれていたので、彼が率いる集団「オリジナル・テンポ」をタイペイの演劇フェスに推薦した。彼らの作品の評判は上々で、その後も海外ツアーを続けてくれていることは頼もしい限りである。また「音楽と身体表現の函数関係」については、パリでの海外公演に同行してくれた当時の劇団メンバー・三名刺繍が「劇団レトルト内閣」の座付作家となって、その成果を継承してくれている。

佐藤香聲(さとうかしょう 演出家・音楽家)

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